伝わる文献によれば、舒明天皇・孝徳天皇の度重なる行幸により世間に名をしられるようになった有馬温泉ではありますが、その後少しずつその名残もなくなり衰退をしていきましたその現状を打開しこのちに再び賑わいをもたらしたのが名僧行基です。
行基は聖武天皇(701~756)の信任あつく、日本国内に残るさまざまな池、橋、建築物など多くの遺産を残した人物です。
行基が大坂平野の北、伊丹の昆陽に大池(昆陽池)を掘っていたとき、一人の人に会いました。その人は「私は体の中に病を抱え、ここ数年苦しんでおります、聞き伝えによれば有馬の山間には温泉卿があり、病を癒す場所です。私をそこへなんとか連れて行ってくださいませんか。」と頭を地に付けて懇願しました。
哀れに感じた行基はその人の病を癒すためにさまざまなことを行いました。
有馬に連れて行く途中、さらにあれこれと望みごとを頼むその人の願いをかなえてやると、不思議なことにその人は金色荘厳なみ仏の姿となり、有馬温泉を復興をするようにと伝えいずこえといなくなってしまいました。
行基は感嘆のあまり、如法経を書写して泉底に埋め、等身大の薬師如来像を刻み、一宇の堂を建て、そこへ尊像を納めたといわれています。
これは、行基の徳に感じた薬師如来が温泉を復興させ、この地発展の基礎を行基に築かしめることとなったとされております、事実、行基がここに堂を建立して以来、約370年の間、有馬は以前にもまして賑わいを取り戻しましたとされています。
平安時代に入ると、各種の文献にも散見されるようになり、多くの文人や天皇、また重臣たちも有馬を訪れたとされており、清少納言も枕草子のなかで「出湯は、ななくりの湯、有馬の湯、那須の湯、つかさの湯、ともに湯」と書いております、つまり、当時すでに伊勢の榊原温泉とならんでこの地が天下三大名湯の一つとして認められていたことになります。